50年代・荻村伊智朗・田中利明卓球

危険な放水作業を遂行している自衛隊、夜を徹して電源復旧作業に従事している作業員の皆様。皆様の安全と任務の成功を心よりお祈りします。

私たちも節電を心がけましょう。でも節電はよくても、過度の節約は経済を停滞させ、ひいては復興の足を引っ張ります。節電以外は、冷静になって出来る限りの普段通りの生活を心がけましょう。

本日は実にレアな、1950年代の卓球動画を。若人には不向き、マニア向けです^^。荻村伊智朗さんと田中利明さんの技術指導ビデオのようですが、最後には模範試合も披露しています。

いやいや、全然知りませんでしたが、ペンホルダーでのカットは、当時ではマストの技術だったのですか。荻村さんも日ペンながらフォア・バックで綺麗にカットしてます。

バックハンドの振り方も現代の視点からみると独特ですが、それにしても2人とも、全くミスしないです・・・。話に聞く2千本ラリー、さもありなんという気がしてきました。

管理人が生まれる前の卓球ですが、こんな映像が残っていたとはちょっと驚きです。

その1・技術指導編


その2・模範試合


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コメント(29)

rooney :

レア動画ゴチですm(__)m
体の使い方が全然違いますね^^;
ラバーも今とは違うものなのでしょうか、いわゆる「ひきつれ」を利用していないように見えます。
しかし、時代や道具に関係なく練習に対する姿勢や考え方は現代にも受け継がれているのではないでしょうか?今の日本代表にもぜひ頑張ってほしいですね^^

アオゾラ :

荻村さんが実際にボールを打っている姿は本当に
初めて見ました!これが荻村さんのフォームなんですね、感動です!

TM :

貴重な動画をありがとうございます。
意外とバックハンドも重要だと語っていますね。ぼくは大学生ですが、昔の人はバックハンド=悪みたいな発想だったと聞いていたので・・・。

KO :

オールドファン(団塊世代)のKOと申します.
震災で亡くなられた方々のご冥福と避難されている方々のご健康をお祈りし,一日も早い復興を!
これは荻村伊智朗が卒業制作でかかわった伝説の映画ですね.
荘則棟はこの映画を繰り返し見て多くを学び,直接教わってはいないがこの映画を通して荻村さんと田中さんは私の先生だと思っています,と書いています.
私も見るのは初めてです.40年以上前から一度見たいと思っていました(涙).管理人さんに感謝!
はい,この時代はペンでもカットはマストだったようです.荻村はカットマンが苦手な選手にはオールカットで試合をやったこともあると何かで読んだ記憶があります.私より10年くらい上の御大(元国体選手)も台から離れたときにバック側にボールが来ると映画とそっくりのカットをやります.私が最初に買った卓球本(野村堯)にも「簡単に失点しないカットから入るのが世界卓球場裡における鉄則」というようなことが書いてあったのを覚えています.

TT :

私の母が田中利明氏からラケットの裏にサインを貰って大事にしておりました。
そのラケットにはスポンジラバーが貼ってあって、当時私が小学生の時にはすでに禁止でしたね。(因みに私はS34生まれ)
後に私ががなくしてしまって・・・残念。

それにしてもレジェンドな映像、有難うございます。
こんな映像が見れらるなんて夢にも思いませんでした。
荻村氏をはじめ、あの母のラケットで馴染み深い田中利明氏が実際卓球をやっている姿ですものね。

感慨無量です。
管理人さん、大感謝!!

さむそないと :

うわーーーー!!!!!
お、おお、お、荻村さんだーー!!!
管理人さん、レアな動画をupしていただき本当にありがとうございます。
多分「その1」は荻村さんが本に書いた「自分が出てる映画」でしょう。

KO :

タイトル名が60年代となっていますが,この映画は1956年頃の作成と思われます.荻村は日大芸術学部映画学科卒で,卒業制作でこの映画にかかわったのです.荻村は1956年卒,田中は1年下です.当時の日大卓球部には卓球台が1台しかなかったらしいですが,これがその台なのでしょうかね.最初に国際試合の場面がありますが,これは1956年東京大会のようです.女性のカットマンはロゼアヌ,ダブルスは江口・渡辺対ロゼアヌ・ツェラーのようです.
当時の荻村はスポンジで田中は裏ソフトですが,裏ソフトも現在とは全然性能が違いますから,ひきつれは使えず,今のような打ち方をすると滑って落ちちゃうんじゃないでしょうか.ループが出たのが1950年代末,速いドライブが1960年代中頃(長谷川信彦の初優勝が1965年)です.
2人ともミスしないし,体がよく動きますね.

影虎 :

今回の動画を見ての感想ですが、現代卓球の原点かなと思いました。2人の先生の打ち方は中国卓球の原点かとも?ラバーにクリップ力(ひきつれ効果)がないためか表ソフトのような打ち方です。荘則棟がこの映画を繰り返し見て多くを学んだのなら1960年代の中国選手の活躍も納得できます。画質もよく、特にスローモーションもこの時代でできたことは信じられません。日本の卓球界にとっても歴史を知るうえでは貴重な映像だと思います。

TT :

KOさん
女性カットマンはあの!あの伝説のミューズ、ロゼアヌ!なんですか?!
これも貴重ですね。驚いた・・・

男性のカットマンはもしかしてシド?

KO :

TTさん,KOです.TTさんもマニアですね.こういう話大好きです.小生,卓球王国の伊藤条太さんの奇天烈逆も~ブログのゲストブックにもよく顔を出しています.
ロゼアヌの動画はいくつか見ていますので,ロゼアヌに間違いありません.
荻村とやっている男性カットマンですが,背中しか見えないのが残念ですね.
これだシドだとすると,この大会は東京大会ではありません.
東京大会では荻村はシドとは対戦していないからです.
東京大会以前ですと,荻村-シドの対戦は
1954年ウェンブレー大会団体予選リーグ7番荻村の勝ち
同シングルス5回戦荻村勝ち
1955年ユトレヒト大会団体戦準決勝7番シド勝ち
の3回です.
世界選手権は春ですから,荻村卒業(1956年東京大会の年)のころにこの映画ができているとするとユトレヒト大会なのかも知れません.
しばらくしたら,卓球王国の伊藤条太さんの奇天烈逆も~ブログのゲストブックにおいで下さい.この話を投稿しておきます.
仙台在住の伊藤さんはちょっと被災されたそうですので,さすがに今は卓球の話を投稿するのははばかられます.
昔の話がお好きならゲストブックのちょっと前の昔の世界ランキングの件
http://www.world-tt.com/weblog/johta/works.php?pg=./works&page=NEXT&pageno=3
など面白いかと.

TT :

KOさん。
いや~生き字引みたいな方ですね。
昭和42年に刊行された「世界の選手に見る卓球の戦術・技術」(荻村伊智朗著)を当時、擦り切れるほど眺めていて、シドが載っていたんですよ。もう40年も前の話なので、記憶が薄れてはいるのですが、シドのあのどっしりした安定感を感じる構えは何故か強烈に覚えております。
どうも、その後姿がシドに似ているんですよね。
そうすると、映画の製作年代からするとユトレヒトなんですか!ふ~む、こんなことすぐに指摘できるなんて、凄い人が世の中にいるもんだ。
いやはや日本は広い。
戦績が荻村さんの3勝一敗というのもはじめてしりました。

落ち着いたら是非伊藤条太さんの~ブログのゲストブックにお邪魔します。

有難うございました。

管理人 Author Profile Page:

いや~、管理人も卓球マニアを自認していますが、KOさんには脱帽です。懐かしの…シリーズの折はまたぜひよろしくお願いします。

KO :

TTさん,管理人さん,おほめ頂きありがとうございます.
結局,世界選手権では荻村4勝シド3勝です.
以下はその詳細です.

1954年ウェンブレー
団体予選リーグ
日本5-2ハンガリーの7番
○荻村 (10,16) ●シド
(※) なお,1番で富田がシドに勝っています.
富田がシドとの試合前の練習で「シドのバックに強打を送ってみたら物凄いボールが返ってきて打ち抜かれた,さすが世界チャンピオンだと思った」というのはこの試合か?
(※) 荻村が「シドのお腹にスマッシュが何発当たるか数えていてくれ」というのはこの試合か?
シングルス5回戦
○荻村 (21-18,21-11,21-13) ●シド

1955年ユトレヒト
団体準決勝
日本5-4ハンガリーの7番
●荻村 (17-21,21-19,16-21) ○シド

1957年ストックホルム
団体決勝
日本5-2ハンガリーの1番
○荻村 (21-17,22-20) ●シド

1959年ドルトムント
団体決勝
日本5-1ハンガリーの4番
●荻村 (17-21,21-10,14-21) ○シド
シングルス準決勝
●荻村 (16-21,13-21,21-11,21-12,18-21) ○シド
(※) 荻村17-10のリードから逆転負け
(※) このときのもう一つの準決勝が容国団-マイルズで,カットマンのマイルズが優勢であったが攻撃に出て逆転負けしたと荻村が著書の中で取り上げています.

1961年北京
団体準決勝
日本5-2ハンガリーの3番
○荻村 (21-7,21-15) ●シド

KO :

はじめの方の世界選手権(?)の部分を目を皿のようにして繰り返し見ました.二階席の下のところに正方形の板みたいなものがありまして,漢字が1字書かれているように見えます.ロゼアヌのシングルスの場面でそれが左上に見え,「北」という字らしいです.つまり,東西南北の方向を示しているのでしょう.というわけで,この大会は1956年東京大会(1956.4.2~4.11,東京体育館)でしょう.そうすると,荻村とやっているカットマンは誰なんでしょう.

YS11 :

’54ロンドンからの4大会で交互に世界チャンピオン、まさに’卓球日本’を体現されていた当時の両選手の練習、模範試合映像をこうして観られるとは・・有難うございます。
前後のフットワーク練習には納得します。そしてカットの練習にここまで時間を割いていたとは驚きます(今も遊びでも何でもいいから・・)。オールスマッシュの51%理論の荻村氏でしたが、やはり希代のオールラウンダーでしたか。’全力スマッシュ’の田中氏もカット戦法で’大当たり’の選手の勢いを止めたことがあったそうな。そもそもロビング守備からの逆襲戦術の元祖でもありました。(TTさんが挙げられた荻村氏の著書から)
KOさん、荻村対シド、それほど勝ったり負けたりでしたか(このシドが’61北京の団体で荘則棟を破るのは驚き)。ところで’56東京の前2大会の団体で日本が3点取りされた(計6敗)チェコのアンドレアディスには随分いじめられました。荻村対アンドレアディスはご存知ですか?

KO :

YS11さんもマニアですね~(^^).
上の投稿にもありますように,しばらくしたら伊藤条太さんのゲストブックにおいでください.
さて,世界選手権で荻村対アンドレアディスは5回対戦があり,荻村の3勝2敗です.
以下は詳細です.

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1954年ウエンブレー
団体決勝リーグ
○日本5-4チェコ●
○田舛 (21-11,21-12) ●テレパ
○荻村 (21-18,17-21,21-14) ●スティペック
●富田 (12-21,14-21) ○アンドレアディス
○荻村 (21-14,21-15) ●テレパ
●田舛 (21-18,20-22,13-21) ○アンドレアディス
●富田 (15-21,22-20,19-21) ○スティペック
●荻村 (13-21,19-21) ○アンドレアディス
○富田 (21-15,21-10) ●テレパ
○田舛 (21-17,21-12) ●スティペック
(※) アンドレアディス3点!

男子シングルス準決勝
○荻村 (21-19,21-12,18-21,24-22) ● アンドレアディス(チェコ)

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1955年ユトレヒト
団体決勝
○日本5-3●チェコ
○田舛 (23-21,21-15) ●スティペック
○荻村 (21-18,21-18) ●ヴァナー
●田中 (15-21,20-22) ○アンドレアディス
○荻村 (22-20,21-19) ●スティペック
●田舛 (12-21,19-21) ○アンドレアディス
○田中 (21-9,21-18) ●ヴァナー
●荻村 (19-21,19-21) ○アンドレアディス
○田中 (21-12,21-17) ●スティペック
(※) 前大会に続き,アンドレアディスが3点!
(※) ヴァナーはバーナのこと,1938,1947の単優勝者.これが最後の世界選手権だった(初出場1935年).

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1956年東京
団体決勝
日本5-1チェコ
○角田 (21-11,21-19) ●ヴィナノフスキー
○荻村 (26-28,21-19,21-13) ●アンドレアディス
○田中 (21-12,21-13) ●スティペック
●角田 (22-24,21-16,16-21) ○アンドレアディス
○田中 (21-11,18-21,21-16) ●ヴィノフスキー
○荻村 (21-6,21-18) ●スティペック

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1957年ストックホルム
シングルス準決勝
○荻村 (21-11,17-21,21-10,21-17) ●アンドレアディス(チェコ)


影虎 :

KOさん、と YS11さんのコメントには全くついて行けません!私が産まれる前の出来事について詳細なコメントは脱帽です!

YS11 :

>KOさん
詳しいスコア、有難うございます。やはり悔しく信じ難い連続’3点取られ’です。あの’卓球日本’の時代に於いて、ですから。しかし荻村さんも個人戦では負けずに合計勝ち越しはさすがです。
卓レポで知る70年代?に強かったチェコのオロウスキという名前、選手を思い出しました(直系のスタイルですか)。
’56東京、伝説の14-20からの田中さん(北海道出身)の対ガントナー逆転劇、ビデオにあったかどうか、探してみます^^
伊藤条太さんの王国誌でのコラムは毎回楽しみです。12月号の’ラスベガスでの出会い’は本当に(最高)傑作です。

KO :

当時の日本と対戦して2大会連続3点取りというのは凄かったですね.この頃日本から3点取ったのはアンドレアディスとシド(1955年ユトレヒト準決勝)だけです.
○日本5-4●ハンガリー
○田中 (21-16,21-9) ●ツェペシ
●富田 (11-21,9-21) ○シド
●荻村 (21-16,19-21,18-21) ○コチアン
●田中 (15-21,21-16,17-21) ○シド
○荻村 (21-16,21-16) ●ツェペシ
○富田 (21-7,17-21,21-12) ●コチアン
●荻村 (17-21,21-19,16-21) ○シド
○田中 (21-12,19-21,21-15) ●コチアン
東京大会で伝説の逆転劇がなければガントナーも3点取りのはずでした.
アンドレアディスは動画を見ると前陣の両ハンド揺さぶり型(両面1枚)です.オロウスキは実際にプレーを見ましたが,両面裏で当時のヨーロッパ男子の標準スタイルでした.スマッシュも打ちますが,スエーデンのヨハンソンほど沢山打っていたわけでありません.当時の有力選手の多くは実際にプレーをみる機会に恵まれました.オロウスキ,クンツ,シュルベック,ステパンチッチ,ヨハンソン,ベンクソン,ヨニエル,ゲルゲリー,李景光,梁戈亮,李振恃,希恩庭.見る機会を逃して残念なのは,荘則棟,李富栄,張燮林,ゴモスコフ,クランパ,アルセア,シェラー.
伊藤さんのラスベガスの話,本当に奇跡でした.
伊藤さんのゲストブックにも投稿しましたので,ご覧下さい.

TT :

しばらくぶりに、このコメント欄を覗いたら大変なことになってますね。
いやはやYS11さんという方まで参入されていて、恐ろしくマニアックかつ高度な展開になってるではないですか!
さすがについていけません。

しかし!KOさんの最後のコメントの最後の部分・・・小生、涙が出るほど懐かしさを感じましたよ。
それにしても、オロウスキ、クンツ、シュルベック、ステパンチッチ、ヨハンソン、ベンクソン、ヨニエル・・・・希恩庭まで直接プレーを見てたんですか。
こりゃかなわん・・です。凄すぎ!

KO :

いや,単に年寄りの昔話自慢ですので...(^^;).
小生団塊世代で,20歳くらいの頃卓球場に入り浸っていたとき(1970年前後)には,1956年東京大会で荻村-田中の決勝を見たという方が何人かおられました.当時からすると十数年前ですから不思議はありませんが,当時は「ひぇ~,すげぇ」と思いました.荘則棟など見る機会を逃した選手は1971年名古屋大会で見られたはずなので,行かなかったのが今でも悔やまれます.ついでに,1969年はじめのプロ卓球で藤井則和,バーグマン,マイルズ,などを見たはずなのですが記憶が残っていません(そのころはあまりマニアじゃなかった).
卓球王国の伊藤条太さんのブログのゲストブックにも書き込んでおきましたので,ぜひおいでください.

yamasou :

こんな昔の動画があると思わなかった。    
管理人うp感謝!

ドイツラバーにした者。 :

今、予備校生で3月にドイツラバーに変えました。そのラバーを使い、またこの動画を観たら
日本人はハイテンションラバーがピッタリだと思いました。それは昔粘着を使ってて、あまりにもデメリットが多いからです。
・梅雨の湿気に弱い。
・重い
・打球感が鈍い
やっぱり、高弾性かハイテンションで特厚に限ると思いました。

中級者03 :

中3の時に『ピンポンさん』を読んでから、
ずっと荻村さんに憧れていて、荻村さんの卓球を見たいと思っていたので、この動画には、感動です!
管理人さんに感謝です。

にしても皆さん卓球にすごく詳しいですね。(^^;)

田中利明さんの後輩 :

田中利明先輩はわたしの高校の大先輩です。中学高校時代、何度か稽古をつけていただいたこともあります。ときどき荻村さんと紋別に来ていらっしゃいました。

今、予備校生 :

この動画を見てると、スウェーデンのオールラウンド卓球につながってるような・・・・・

柔軟に物事を考えて、自分の持ってる技術を全て出し尽くす姿勢は一緒だと思う。

ペコさん :

貴重な映像をありがとうございます。目からウロコの連続です。ペングリップでのカットの練習が行われている映像を見てすごく自由な気分になりました。(中・高とオールフォア信仰世代の先生に指導を受けていたので)。
もっともっと卓球を楽しみます!

ふう :

大昔、青卓会に入りたくて、荻村さんとは1回電話でお話したことがあります。三鷹市立体育館は遠く、結局2回くらいしか行きませんでしたが。

この映画を見ると、荻村さんのグリップは結構深く、打ち方も表ソフト的ですね。でも、後年には普通の裏ソフトにも適応し、「マークV」がお気に入りだったそうです。

この映画見たら、また卓球やりたくなりました。

利朗 :

いやあーこんな貴重な動画が見れるとは大感激でした。私は1958年生まれで父が卓球が好きだったのでちょうど二人が交互に世界チャンピオンだったころですね。そんなわけで私の名前は田中利明の利と荻村一朗の朗からつけられました。卓球を中学から今でも40年近く続けてます。田中 利明選手の腕を伸ばしての豪快なスマッシュを写真では見てますが動画で見れて本当に感激しました。

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